ショパン ノクターン 20 番 嬰ハ短調 (遺作) について

今回は珍しく、ショパンについて書いてみたいと思います。


ショパンノクターン 20 番 嬰ハ短調 Lento con gran espressione (下の楽譜は Peters 版です)

ってぼくの周りではなかなか人気のある曲なんですけど、8 小節目の左手の Fis 音 (ファ#) を Dis 音 (レ#) で弾いてる人が多くて、それにずっと違和感を感じてました。
こんなカタルシスを感じるべきところで、なんでベースの和音がこんなモサっとした響きになるんだろう??って。
それで、こないだの日曜に、近所の楽譜屋に行っていろいろな版を見てみたのですが、どうやら、全音の楽譜には Dis 音で書かれているようです。


そこまでだったら「全音には Dis って書かれてたのかー。それだったら、ノクターン 20 番を弾く場合はいろんな版の楽譜も見て、Dis か Fis のどっちが良いか検討して欲しいなー。」ってので話は終わりなのですが、ウィーン原典版の解説を見ると、今度は

8 (小節目)  左手:CK *1 は最初と 5 番目の 8 分音符を誤って嬰ニ音としている。

と書かれてて、またまた混乱してしまいました。
「Dis が変だと『思う』」というのと、「Dis が『誤って』いる」というのは、全然違います。
「Dis が『誤って』いる」と断言するためには、主観的な感情論じゃなくて、客観的な根拠が必要になってきます。
何か理由があるのだろうか?(やっぱり、先ずは楽典を勉強しろ!!ってことかしら。)
ウィーン原典版のように書かれると、逆に、盲目的に Fis だと結論付けるのが、なんだか恐ろしく思えてきます。


確かにぼくは、8 小節目の左手のベースの音を Dis で弾かれるとおかしいとは思うけど、Fis じゃないとダメという客観的根拠 *2 が見つからない現時点では、一応は Dis の可能性も残しておきたいわけです。
まぁ結局、「Dis はおかしいと思うけど、『何も考えずに Dis はダメ』というのも危険な気がする・・・。」というグダグダなことしか書けませんでした。。


ところで、ショパンって不器用な人だったらしく、彼の手紙によると (といっても、別の本で知った知識なのですが。。)、

今回は保養のために行くんだと決心してノアンに赴くんですけど、やっぱり絵を描きたくてうずうずしてきて、サンドの服だか下着だかをカンバスにして絵を描こうとする。その時に、何回やってもうまくカンバスを貼れなくて、自分はいつまでたってもこういうことが下手だと嘆いているんです。 *3

こんなお茶目な (?) 一面があるようです。
有名人のブログを見ることで有名人を身近に感じるようなもので、こういう話を聞くと、ショパンもより身近な存在に思えてきますね。

*1:オスカル・コルベルクによる筆写譜 のこと

*2:そもそも、このような問題に「客観的根拠」なんてあり得るのか?って突っ込みもありそうだけど。

*3:「ディアローグ」、平野啓一郎 対談集、講談社、ISBN078-4-06-214390-5、p126 より引用